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第18回IPPNW世界大会デリーに参加して 

大阪民医連 西淀病院 穐久英明

久しぶりの参加でした。人生色々なことがあるものだと感じた日々でした。2007年3月より、原爆訴訟に関わるようになって、その流れで、今回の参加になりました。期間が短いので勤務に穴をあまり開けなくていいかと感じて参加しました。出発の3月8日、新大阪で関空行きのはるかに乗ろうとした時に私の前で並んでいらしたのが、鎌田七男先生でした。原爆症の勉強をしている時によく名前が出る先生です。初対面でした。どこに行かれるのですかと聞かれ、インドと答えたら同じ目的とわかりました。広島の斎藤先生が自分の弟子でよく頑張っていると語られていました。他の日本支部の先生はすでにインドに行かれ観光をされているのに、ぎりぎりまで仕事があったとの事でした。8日(土)13時出発予定のインド航空は40分ほど遅れて関空を離陸し、香港で1時間の給油後デリーへ離陸する予定であったが、結局は香港で泊ることになった。重松、野崎さん両人の通訳の方が添乗員代わりをしていただきました。同じ香港泊まりの日本人のメンバーとは、顔見知りになり、帰りの日にも出くわしました。9日の深夜ちかくデリーに到着、サムラートホテルで成田発の6名と合流でき、軽いビールがおいしかった。

世界大会の第一日目の開会式、全体会議には参加できなかったが、出席できた全体会議、分科会及び関連資料とインターネットから感想を述べます。当地のニュースとIPPNWヨーロッパ支部のホームページには、9日の開会式にはインドのハミッド・アンサリ副大統領が出席、演説をしたとの事。11日の閉会式の中でのインドからの発言者(保健相だけでなく)も含め、マハトマ・ガンジーとラジーブ・ガンジーの2人のガンジーの名前がよく出ました。インドの核保有の言い訳の発言が多いと思いました。IDPD(Indian Doctors for Peace and Development)は、インド国民会議を支持しているのか?。

10日、最初の全体会議のテーマは「グロバリゼーションと軍事化」の中スーザン・ジョージ(トランスナショナルセンター研究所副所長・グロバリゼーション観測所代表)は、ネオコンのグロバリゼーションという表現をしていて、以下の発言がされた。イラク戦争は、原油の争奪が戦争の原因であったが、これからは食料、水の確保が差し迫った問題となり、争いの火種となるであろう。それは中東やトルコで現実の問題となっているし、インドでも核エネルギーを維持するためには冷却水が不可欠である。また市場原理主義の下で暗躍する多国籍企業は利害の衝突から戦争につながる危険をはらんでいる。IPPNWヨーロッパ支部のホームページに、スーザン・ジョージの発言が載っています。スーザン・ジョージさんの訳本を本屋で買いましたが、彼女はマルクス主義を批判していましたが、anti-(反)ではなく、altermative(もうひとつの)という立場でした。

「持続可能(環境を壊さず利用可能な)エネルギーの選択」では、IPPNWが今まで環境問題を取り上げてきましたが、核兵器と核エネルギーを同一の原子力企業が生産しているなど環境問題と平和運動は矛盾しないという事がわかりました。

「ジャデュゴダ・ウラン鉱山周辺の住民の健康被害」ではIDPDの2007年の調査発表がありました。その中で京都大学の小出裕章先生が調査したことも報告されました。村長さんの発言が熱かった。帰国して、インターネットで調べると、ブッダの嘆き基金など以前より活動しているグループがあり、国際署名も集められ、告発する映画もあるとの事。自分の無知を痛感しました。

 分科会のうちで出席したのは「化学戦、細菌戦及び地雷の影響」で、地雷の話が多かった。フロアから武田先生が、731部隊の事を発言され、参加者からも関心を呼びました。その分科会と同じ時間帯の「戦争における劣化ウランの健康被害」で、ICBUWの振津かつみ氏がプレゼンテーションされました。顔が似ているので聞いてみたら、やはり私の大学の後輩の妹さんでした。広島JPPNWが、劣化ウランの健康被害の調査をすると約束されたとの事。次の分科会はJPPNWの分科会で「広島・長崎の遺産から北東アジアにおける非核地帯の設立へ」というテーマであった。モンゴルの発言は元気でした。中国、韓国からの参加者はありませんでした。金子熊夫(日本支部顧問)は、それぞれの軍事同盟を持ちながら北東アジアで非核地帯をしようと日本政府よりの発言でした。

 帰国後、病院に鎌田先生より、「広島のおばあちゃん」が送られてきました。原爆が与える影響、核兵器の本当の恐ろしさを誰にでもやさしく分かるように書かれた本です。今後の活動に役立てていこうと思います。色々な人とのめぐり合わせに恵まれた数日間でした。